どうも、ミニマリストのトヨナガアツシです。
モノ以外も捨てつつあります。
先日、下記のツイートをしました。
捨てたほうがいいのは「物欲」じゃなくて「見栄」なのかなと思います😌
というのも、「見栄のための消費」は、最初はいい顔して僕らに近づいてきますからね。物欲は捨てる必要ないと思っていますが、とはいえ、その物欲が「見栄のための消費」なのか見分けられるようにならないと、消耗しすぎますね。— ミニマリストあつし (@a0215t) 2019年5月15日
上記のツイートについて詳しく書いていきます。
捨てた方がいいのは「物欲」じゃなくて「見栄」です
捨てたほうがいいのは「物欲」ではなくて、「見栄」です。
見栄を捨てると、物欲がなくなったように見える
元々物欲が強い人が、物欲を捨てるのは結構難しいかと思っています。
というか、モノは偉大なので物欲は捨てる必要なしです。良質なモノのおかげで生活が快適になりますからね。
僕はミニマリストになってからも物欲は変わらずあるのですが、とはいえ今は本当に必要なモノ以外を買うことはほぼないです。
それができてる理由としては、「見栄を捨てつつあるから」かなと思っています。
僕が考える順序としては、
見栄を捨てる
↓
無駄なモノを買わなくなる
↓
物欲がなくなったように見える
こういった感じです。
生活に必要なモノなんてそんなに多くないですからね。
下記の記事の冒頭に、「元々あったモノの数から考えると、残ったモノの数は全体の10~20%くらい」だったと書いています。
そういうわけで、生活に必要なモノはそんなにないので、物欲がなくなったように見えるだけなんですよね。錯覚です。
「見栄のための消費」はいい顔して近寄ってくる
問題なのは「見栄のための消費」を「これは見栄じゃなくて必要経費だ!」と思ってしまうことなのかなと思います。
下記のツイートをご覧ください。
ちなみに、誰しもが「見栄のための消費」をしていたとしても、自分ではそれが「見栄のための消費」だとは思ってないです。そもそも「見栄のための消費」だとわかってたら消費しないし、なぜそうなるのかは先ほど言った通り、「見栄のための消費」はいい顔して近寄ってきますからね。まるで詐欺師です😌
— ミニマリストあつし (@a0215t) 2019年5月15日
上記のツイートに書いているように、「見栄のための消費」は最初はめちゃくちゃいい顔してるしフレンドリーなんですが、実はけっこう悪徳な詐欺師です。
「これは見栄だったな…」と失敗した時、それはつまり詐欺師に騙されたということです。
そして、「これは見栄だったな…」と気づくのはかなり月日を重ねてからのような気がします。
もしかしたら、一生気づかない人もいるかもです。
見栄かもしれない行動
その行動はもしかしたら見栄かも、、、というわかりやすい例は下記の通りです。
- 行動の目的がTwitterに載せるため
- 行動の目的がInstagramに載せるため
SNSに載せるのが悪いとかじゃないんですが、インスタに載せないとしてもそれを買いたいか?そこに行きたいか?と自分に問いかけてみてください。
僕も数年前はオシャレなカフェとか、食べ物とかをインスタに載せたりしていました。
でも今考えるとマジで無駄だったなと思います。
そもそもオシャレなカフェが味もめっちゃ美味しいとは限らないですからね。
確かにオシャレな空間は気分も上がるのですが、、、それならSNSは開かずスマホはそっと閉じて、友人とその空間を楽しんだらいいのかなと思います。
ちなみに、見栄のための消費は、モノだけじゃないですよ。
あまりいないとは思いますが、SNSで「充実してますアピールのため」に海外旅行するとかも、めちゃくちゃ無駄ですよね。
捨てる見栄なんてそもそもない?
もしかしたら見栄を捨てるとかいう以前に、そもそも「捨てる見栄なんて最初からないです」って人もいるかもですね。
僕もそうでしたから。
繰り返しですが、見栄だと思っていたらその消費はしていないですし、そしてそれが「見栄だったな」と気づくのまでの月日はとても長いです。
でもまあ、早く気づくに越したことはないですよね。
まとめ
今となっては、僕も見栄は捨てつつありますが、それでもたまに、「これもしかしたらほんまは自分がやりたいことじゃないかも」とか思ったりすることもあります。
そういったときに、自分への問いかけです。
100%のイエスだったらやって、迷ったならやらない。
そうじゃないと、マジで消耗しすぎますからね。
皆さんも是非、自分に問いかけてみてください。
今日はそんな感じで終わりです。
では!